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聖ピオ5世教皇   St. Pius V. P. P.                               記念日 4月30日



 1565年にピオ4世教皇が亡くなった時、最適任者としてそのあとを継いで教皇となったのは、アントニオ・ミカエル・ギスリエリで、彼は1556年に司教に任命されるまで、ドミニコ会の学校で哲学と神学を教えていた。

 ピオ5世として教皇の座についた時、教皇登位を祝う代わりに、その費用を全部ローマ市内の貧しい人々や、経営困難の修道院に送った。司教や司祭は信者達から遠く離れて住むべきではないとして、司教区と小教区に住まわせ、ローマ市街における闘牛や動物いじめを禁止し、日曜日を聖日として守るように勧め、月に一度、特別な法廷を開いて、不正に扱われている者を招いて、その言い分を聞くようにした。

 1571年、トルコ軍が東欧のキリスト教国を侵略し、大艦隊を連ねてイタリアへ向かってきた。ピオ5世教皇はヴェネツィアとスペインの君主と協議して連合軍を組織し、敵を迎え撃つことにした。同年10月レパントの戦いでトルコ軍は撃滅された。ピオ5世の教皇としてわずか6年しか在位しなかったが、偉大な業績を残したのであった。